浴槽のカギが壊れた時の脱出劇

我が家の浴室のトビラにはカギが付いています。しかし実際にそのカギを使う機会というのはほとんどありませんでした。ですからわたし自身、そこにカギがあること自体、気が付いていなかったのです。

事件が起きたのは正月の真っただ中でした。その日、家の人間はみんな昼ごろから各々出掛けてしまったため、家にはわたししかいませんでした。久しぶりにのんびりできることを喜んだわたしは、ビールを冷蔵庫で冷やし、日本酒とおせち料理をこたつの上にスタンバイして、昼間っから風呂に入ったのです。
ゆっくりと湯船に浸かっていると、日ごろの疲れは溶けだしていくような感覚になりました。このあと正月番組でも見ながら一杯やるつもりでいたわたしが異変に気が付いたのは、身体も温まって少し逆上せてきたくらいのときでした。

そろそろ浴室から出ようとしたわたしが掴んだドアは、ノブをいくら回しても開くことはありませんでした。しばらくガチャガチャやったあと、カギが壊れているんだと気が付きました。しかし家人は誰もいませんし、助けを呼ぼうにも電話ひとつありません。
浴室には窓が一つだけ付いていますが、風呂が中二階にあるためそこから出てもかなりの高さですし、降りられるのは遊歩道で、そこからぐるりと玄関まで移動しなければなりません。

小さなタオル一枚で前を隠し、小雪のちらつくなか人目につかないよう玄関まで無事にたどり着けるか甚だ不安でしたが、他に選択肢はないようです。正月休みの人通りの少なさに期待して、なんとか窓から這いずり出しそのまま下へ飛びおりてみると、頼みのタオルが窓枠に引っかかってしまいました。
全裸で雪が積もる遊歩道を駆け抜けるわたしに、普段は大人しい近所の犬が、ここぞとばかりに吠えています。どこかで上がる悲鳴を聞きながら、わたしは全力疾走で家に駆け込みました。
その夜、帰ってきた娘と妻は、近所の人が変質者を見たらしいと言って笑っていました。